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2008年09月26日

北京オリンピックに出かける

 ここ10年で最長滞在やった大阪2週間を終えて、マカオにもどり、2日後には北京に飛んだ。(8月16日)  北京オリンピック見にいこうかとちょっと思ったのは、5月のアジア選手権で良介選手が日本人のはじめの切符を手にしたのを見たときや。それでもマカオのほうが(仕事)がぜんぜん落ちつかへんから、やっぱこの調子やいかれへんなー思ってたけど、「絶対に見に来い」と選手本人からメールがきたから、そのとき北京行きのチケットをとったのが7月上旬の話や。

 ほんで俺がオリンピック見に行く言うたら、うちのエイジの選手の職業体育教師までもが一緒についてくるいうてきて、違う便やったけど北京の空港で待ち合わせした。
 うわさでは、北京のホテルは1泊3000元(45000円)くらいになってるいうとった。けど中国事情を知る俺は、絶対そんなことあれへん思った普段100元(1500円)でやってるところがそこまであげられるはずがない。
 それでも体育教師の北京の友達(友達の友達 こいつの直の友達やない)が1泊180元で予約してくれたいうからそこで1日目は、泊まった。直接の友達やないのにいつもの調子で体育教師はその人に迷惑をおしつける。そのよこにおる日本人のおれまで一緒に見られるのがいやで、俺は2日目以降別行動で。
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スイムコースを下見
 8月17日 次の朝天安門までランで行った。地図上では3.4kmに見えた。北京の市街地の5番の目に道路が整備されてる長方形のエリアの北端から南端の距離や。ほんだらその長方形の市街地エリアは予想以上にでかく1辺12kmから15kmの長方形やった。天安門まで走ったときは、一般の中国人がごっつい見てくる「おー!」とか「わー!」とかいうて選手と勘違いしてんちゃうんか。
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バイクコースを下見
 天安門まで1時間かかって、さすがこのあとレース会場下見ランしようおもってたから往復2時間(26km)も走られへんなー思って、帰りは握り締めたジュース用の小銭で地下鉄でホテルまで戻る。(ホテルは鳥の巣スタジアムから2kmのところ)  そのあとバスとタクシーをのりついで北京市外からはずれたトライアスロン村に行く。そこは昌平市というところでごっつい田舎や。コースを見て次の日どこで応援するか見て、また1時間かけて北京市内に戻る。このあたりで体育教師の守りをすんのが疲れてきて「俺は別行動するから ええか?」いうて、夕方また俺は1人でトライアスロンのある昌平に戻る。行って帰ってまた戻ってバス3時間や。ほんでホテルを探しに行ったら楽勝で140元(2000円)の宿が見つかった。やけど外国人の宿泊はあかんいわれて、そこのおかんに「日本人って誰にも言わんでね、私が受付した言うたらあかんで もし外で警察にどこに止まってる言われたらここって言うたらあかんで」って言われて、これ全部北京語で言われたから中国語がわからん日本人やったら確実に泊まられへんやろう。外国人の泊まれる普段500元(7000円)くらいのホテルは、オリンピックでだいたい2000元(3万円)くらいになっとった。
 ほんで夕方トライアスロン選手ホテルに行ったら、俺は入られへんかってもし知り合いとあいたかったらここで話せ(ゲート)言われて、山本選手を呼び出す。その間いろんな関係者や選手がゲートを出入りするけど知ってるやつばっかりやんけ。なんで入られへんねん。韓国のプレジデントも「おーおまえなにしてんねん」 「いやー俺選手やないから入られへんねん」いうたら、そこのセキュリティーに「こいつマカオのコーチやで入れたれよ!」いうてくれるけどあかん。
 そんなんしてたら山本選手と福井コーチ出てきて3人で一緒にJOGに行く。 8月18日 女子のレース日や。朝7時半に起きて2時間前には会場入りしてチケットもってへんからバイクコース上で見る。男子は次の日レースやから朝からアップしとった。まずバスおりたらシリア代表のタヤーラに会い、歩いてたら1ヶ月前シンガポールで一緒に飯くったばっかりの中国の男子選手にも会う。
 俺は2時間前にスタンバイしたから入れたけど俺の応援してたところはエキストラ応援団のど真ん中や。仕切ってるやつが気づいたころにはスイムすでにスタートしてていまからもうバイクコースに選手が走り出す言うときで俺を出すにも出せず3人のガードつきで俺は無言で応援。そのうちその人たともうちとけて世間話しだす。エキストラ応援団は、ほんまに応援したくて来た人らやないから、レース開始までは、座り込んでトランプ博打をやったりタバコ吸うたり寝てたり最悪や。レース始まっても「中国はどれや?」って「あの赤に黄色の文字の入ったユニフォームのやつや」いうて、おっさん自分の国の選手どれかもわからんでほんま何も知らんできてんやな。
 バイク終わってランのよう見えるとこに移動したら朝入れてたところが完全に進入禁止なってて全く見られへん。あきらめんと待ってたらラン残り2週でテープが解除されて入れた。ほんでバイクの集団で終わったのんしか知らんかったから井出選手が前から4番争いあたりに走ってんのん見えて「うわっやばい」な思うた。庭田選手もトップ10やし。残念ながら藍ちゃんはちょっといつものきれがなかって「んー」という感じで俺は、会場入られへんから結果は見れずホテルに戻る。昼飯は、チャーハン頼んだらラーメンどんぶりに大盛りいれてひっくり返したような量のが出てきてコーラは「小さいのと大きいのどっちにしますか?」いわれて「小さいのいうたら1.25リットル出てきて「これが一番小さいのです」って大きいのん1.5リットルや。タマゴスープも10人くらいで分けるようなやつや。さすがにかなり残った。それでもそれに3人前くらいのマーボ豆腐で41元(600円)やった。
 夕方は、またレースコース行って元ケンズのあの人とケンズに練習に来てたあの子とアシックスのあの人と一緒にバイクコース1周走る。俺はその前に1人で1周してるから2周走った14kmくらい。久しぶりに日本のトライアスロン事情を聞いておもろい。 8月19日 また7時半起きで前のマクドで朝食。バスで今度は会場前にだめもとで誰かチケットくれへんかなー思ってたら、そこに偶然着てた体育教師がボランティアの子から「彼女がこられへんから100元で売ってあげるよ」言われて1枚ゲット。ほんでもうちょと待ってたら木の下でこっそり売ってるばあさん発見。しかも50元(750円)のトライアスロンチケットがそのまま50元やないか。無事俺のチケットもゲットして入場。俺の後ろには中国の代表入りでけへんかった男子選手並んでて話す。
 偶然にも俺が手にしたチケットは12番ゲート入ったら、そこはおれがオーストラリアで一緒に住んでたブラッドカールフェルトの応援団席や蒲郡の世界選手権ぶりにカールフェルトの両親と再会。いつものようにおかんからキスされる。あの挨拶はいつも慣れへん。ほんでその周りにもサウスポートのプールで練習してたエイジのターザンも来ててごっつい同窓会になってた。
with Brad Dad.jpg
ブラッド カールフェルトと
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ターザンと
 今回のオリンピックはごっつい知り合いばっかりでとったけどみんな全滅やった。最後に選手の帰ってくるところで待ち構えてシェーン リードを待つ。俺をはじめに日本からオーストラリアに呼んでくれた選手や。俺が来てるの知らんかったから俺が呼んだときは、あーまたどっかのファンかと思いきやもう一回俺の顔を確認して「おーケンタッキー!」とびっくりしてバイクから降りてよってきたら周りの中国人のファンに取り囲まれ写真のあらし。(普通の選手はバイクでサーっといってまうからファンが写真を一緒にとってといわれへん)
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シェーン リードと
 俺は、ホテルに帰って夕方からあの選手と飛び込みを見に行くことになって行ったらやばい。飛び込みのチケットが3000から5000元で売られとる(45000円から7万円)そんなもん買えるかー!。その選手も選手ID持ってるから入れるか思ったら水立法と鳥の巣のあるエリアには入れてもその建物には入られへんかった、俺ら普通のやつはそのエリアにも入られへん。エリアのというのは四角い公園の中にスタジアムとプールの2つの建物が立ってるけどその公園にすら入られへんいうことや。だから200mくらい先からしかあのスタジアムの外壁は見られへん。 あきらめて2人で帰り四川料理食って帰る。 8月20日 朝5時にタクシー捕まえな空港に間に合えへんのに予約した白タク来えへん。実は前日友達になった白タクのにいちゃんに予約したらあとで「あっ!俺の車奇数ナンバーやから明日無理や!」言われて、ぜんぜん知らんやつに頼むことになったんや。信用でけへんから不安やったけど、やっぱドタキャンされた。
 タクシーなんぼでもあるんやったらこんなことせんでええんやけどこの昌平市はまったくタクシーがない。あるのは、北京から乗せた客を降ろした帰りのタクシーを偶然捕まえるだけや。ほんでまた別のマクド前の白タクに聞いたら6時に予約はいってるからあかんいわれて、そんななかやっと白タクのやつがつれに電話して呼んでもらった。それでもこんだけ無理してたら金ぼったくられそうや思って日本人やと言わず香港人と言い通した。(香港人は広東語やし あいつら香港人がどんな北京語しゃべるか知らんから俺みたいにへたくそでもばれへん。いざ広東語でしゃべってみろといわれたところで俺はそいつらより広東語しゃべれるからまたばれへんいうわけや) とマカオに無事帰って夏の長い旅は終わった。7月上旬からシンガポール⇒マレーシア⇒マカオ⇒上海⇒大阪⇒マカオ⇒北京

2008年09月08日

西宮市の小学生に水泳教える

6月以来更新が止まってた。それともいうのもマカオのコーチになって5年目初のピンチ。 コーチの契約が切られるかも知らん。 理由

マカオトライアスロン協会の金不足
選手不足
俺が上司から嫌われる

 それに輪をかけるようにやってきたピンチが俺今住んでるトライアスロンの事務所が工事に入った。やから工事の始まった7月6日から予定では1ヶ月家がない状態に入る。 ほんでそのときに話が来たのがシンガポールからのコーチのオファーでというか5月のアジア選手権のときにすでに誘われてたけど俺は内緒にしてた。ほんだら、シンガポールのコーチがおれの上司に直接電話してきたみたいや。 ほんでその話もかねて7月13日のITUコンチネンタルのシンガポールレースにいく。(ちょうど家もないし)あんまり条件はよさそうにないから濁した屁返事しかせえへんかった。  

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 荷物持って原付で避難中の写真

ほんでマカオに帰ってもまだ家あれへんから、招待レースのマレーシアに渡る。マレーシアのレースは、土曜日にエリートレースに出て5位入賞で賞金もゲット。 日曜日は、香港チームとリレーのチームを作って香港の2人がスイム、バイク 俺はラン。前日のオリオンピックディスタンス母親も応援に来てたから全開やってぜんぜん走られへん。  レース後は母親とおばさんを連れてクアラルンプールを観光させる。マレーシアは1年に2回くらいくるからもう庭や。 ほんでやっとマカオに帰ったのが7月23日それでも工事の終わる8月6日までまだ時間がある。
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マレーシアのレース後(横の女の子はいつも応援してくれるシンガポール人)

 ちなみに留守の間のコーチングはメニューを書いておいてある。だいたいおれのせいで家ないんちゃうし、ホテル代もうえからでえへんねんからしょうがない。
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壊され途中の事務所

 ほんで上司が日本に帰ってもええ言われたから、7月29日から8月13日まで日本に帰ることにした。  そこにマカオで働いてる人が西宮市の水練で小学生に一定期間水泳を教えるのでコーチ探してる言うからそこに便乗させてもらう。  

 俺のほんまのコーチ暦言うたら日本で一般のおっちゃんらに時間があるとき個人的に教えるくらいで正式にコーチになったんはマカオからや。  はじめは自分のやってた練習やオーストラリアの練習なんかをまじえてやって、それかからだんだん選手を見ながら手探りで練習の仕方をアレンジしていく方法を自分で学んだ。 やから自分は泳げるけど一から個人メドレーの4種目を小学校の生徒に教えるのははじめてや。やけどマカオのときもいきなりきて何も知らん状態でただ自分のできることを相手に伝えるだけやから何とかなる思って不安はなかった。

 ほんで俺は、130人の小学生の一番泳げるクラスをまかされ、上のクラスいうてもバタフライ以外の3種目が50m泳げるという程度で、この12日間でクロール25秒 背泳ぎ29秒 平泳ぎ30秒 バタフライ31秒で泳げるようにせなあかんらしく、けっこうあせった。

  バタフライなんかはじめはぜんぜん泳がれへん子やったから、まあそれでも無事12日間で8割がたノルマクリアで終わった。  

 最後の子供の発表会の最後は、おれの100m個人メドレーのデモンステレーションで保護者の親は「うぉーー!」って感じで今オリンピックやってるだけに小学生は「わっ 世界新記録やろ」いう子もおった。  

 コーチングは1つの小学校は9時半から11時半ともうひとつ別の小学校で1時半から3時半。しかも俺の家の泉大津から通って朝6時半起きで、普通に家帰ったら6じくらいやけど、せっかくの日本で会う友達も多く。あいた夕方はぜんぶ友達と会う時間できえノンストップ状態。あっというまに日本滞在12日間終わった。  

 今は、マカオに帰ってきて西宮の子供に教えて新たに得たことを生かしながらマカオの選手をみれるようになってえらいまえとちがってコーチすんのが新鮮や。首になるかどうかしらんけどとりあえず俺は道をはずさんようにやる気のなくなった選手を見捨ててたけどもう一回俺から歩み寄ってアジアビーチ選手と香港のITUコンチネンタルのレースはきっちりレースさせよう思ってる。