西宮市の小学生に水泳教える
6月以来更新が止まってた。それともいうのもマカオのコーチになって5年目初のピンチ。
コーチの契約が切られるかも知らん。
理由
1,マカオトライアスロン協会の金不足
2,選手不足
3,俺が上司から嫌われる
それに輪をかけるようにやってきたピンチが俺今住んでるトライアスロンの事務所が工事に入った。やから工事の始まった7月6日から予定では1ヶ月家がない状態に入る。
ほんでそのときに話が来たのがシンガポールからのコーチのオファーでというか5月のアジア選手権のときにすでに誘われてたけど俺は内緒にしてた。ほんだら、シンガポールのコーチがおれの上司に直接電話してきたみたいや。
ほんでその話もかねて7月13日のITUコンチネンタルのシンガポールレースにいく。(ちょうど家もないし)あんまり条件はよさそうにないから濁した屁返事しかせえへんかった。
ほんでマカオに帰ってもまだ家あれへんから、招待レースのマレーシアに渡る。マレーシアのレースは、土曜日にエリートレースに出て5位入賞で賞金もゲット。
日曜日は、香港チームとリレーのチームを作って香港の2人がスイム、バイク 俺はラン。前日のオリオンピックディスタンス母親も応援に来てたから全開やってぜんぜん走られへん。
レース後は母親とおばさんを連れてクアラルンプールを観光させる。マレーシアは1年に2回くらいくるからもう庭や。
ほんでやっとマカオに帰ったのが7月23日それでも工事の終わる8月6日までまだ時間がある。
ちなみに留守の間のコーチングはメニューを書いておいてある。だいたいおれのせいで家ないんちゃうし、ホテル代もうえからでえへんねんからしょうがない。
ほんで上司が日本に帰ってもええ言われたから、7月29日から8月13日まで日本に帰ることにした。
そこにマカオで働いてる人が西宮市の水練で小学生に一定期間水泳を教えるのでコーチ探してる言うからそこに便乗させてもらう。
俺のほんまのコーチ暦言うたら日本で一般のおっちゃんらに時間があるとき個人的に教えるくらいで正式にコーチになったんはマカオからや。
はじめは自分のやってた練習やオーストラリアの練習なんかをまじえてやって、それかからだんだん選手を見ながら手探りで練習の仕方をアレンジしていく方法を自分で学んだ。
やから自分は泳げるけど一から個人メドレーの4種目を小学校の生徒に教えるのははじめてや。やけどマカオのときもいきなりきて何も知らん状態でただ自分のできることを相手に伝えるだけやから何とかなる思って不安はなかった。
ほんで俺は、130人の小学生の一番泳げるクラスをまかされレベルでいったらバタフライ以外の3種目が75mは泳げるって感じのレベル。それを12日間で100mくらい泳げてあと25mのタイムがクロール25秒 背泳ぎ29秒 平泳ぎ30秒 バタフライ31秒で泳げるようにせなあかんらしく、けっこうあせった。
バタフライなんかはじめはぜんぜん泳がれへん子やったから、まあそれでも無事12日間で8割がたノルマクリアで終わった。
最後の子供の発表会の最後は、おれの100m個人メドレーのデモンステレーションで保護者の親は「うぉーー!」って感じで今オリンピックやってるだけに小学生は「わっ 世界新記録やろ」いう子もおった。
コーチングは1つの小学校は9時半から11時半ともうひとつ別の小学校で1時半から3時半。しかも俺の家の泉大津から通って朝6時半起きで、普通に家帰ったら6じくらいやけど、せっかくの日本で会う友達も多く。あいた夕方はぜんぶ友達と会う時間できえノンストップ状態。あっというまに日本滞在12日間終わった。
今は、マカオに帰ってきて西宮の子供に教えて新たに得たことを生かしながらマカオの選手をみれるようになってえらいまえとちがってコーチすんのが新鮮や。首になるかどうかしらんけどとりあえず俺は道をはずさんようにやる気のなくなった選手を見捨ててたけどもう一回俺から歩み寄ってアジアビーチ選手と香港のITUコンチネンタルのレースはきっちりレースさせよう思ってる。

荷物持って原付で避難中の写真

壊され途中の事務所
マレーシアのレース後(横の女の子はいつも応援してくれるシンガポール人)